2013年7月31日水曜日

2回目の石徹白実習・キハダの樹皮にびっくり



 

 少し寒さが残る5月13日学生になって初めての実習で訪ねた石徹白は、絶境の地と感じられた。休耕田の田起こし、耕運機運転、初めてづくしの経験であった。
 あれから2ヶ月余経ち、2度目の石徹白訪問。 田起こしの後、川崎市から移住して来られたHさん達が植えられた苗は、すでに30㎝ほどの立派な稲に成長していた。



今回の作業には、Hさんのご友人であり、シエアハウスの管理人として雇われ、最近石徹白に移住されたIさんも参加された。



 都市部から若い人を招き、石徹白に住んでもらおう、という地元の取組みも着々と進んでいるように思えた。

 到着したのが10時30分近くだったため、作業の出来る時間は1時間30分ほどしかない。5人の学生は、手鎌3丁と刈払機2台で田の三辺を分担して草を刈り、何とか昼までに終了できた。仕事に区切りができホッとしたら、腹が鳴った。


 


午後は、めったに出来ない、キハダの皮剥ぎ。未知の期待に胸がときめく。
70歳を超えるUさんの案内と指導。石徹白の奥山、アスファルト道が消え、石玉のゴツゴツした林道を走る。うねりながら30分近く。山に分け入る。小さな沢を渡って登ったところが現場。





胸行直径20㎝ぐらいのキハダをまず伐木。その隣に根元から3本に幹別れした大きなキハダがあり、その端の一本、胸行直径が30㎝近くある幹にチェンソーの刃が入った。一瞬の緊張が学生に走った。伐木を間近でみた事はまだない。まして、枝が広がっていて“かかり木”となることが予感できた。Uさんはそれを見越して段取りをされているのだが、やはりかかり木となった。どうやって処理するのか、ハラハラしながら見守った。Uさんは「予想外に手間取った」「見られて恥ずかしい」などと照れながら、プロの技を駆使され無事にかかり木を処理された。 




その後、幹を2mほどに玉切りし、チェンソーで幹の縦と横に浅い切れ込みを入れた。チェンソーの扱いが見事、真っ直ぐである。



金梃子のような皮むき用に誂えたという道具で樹皮を剥ぐ。




2層になっている。先ず表皮をある程度剥ぐ、


続いて鮮黄色の内皮を木部から剥ぐ。初心者にもきれいに剥ける。
鮮黄色の内樹皮は自然物とは思えないほど綺麗な黄色。
 


キハダは昔から胃腸薬として用いられていたとのこと。今でもUさんは乾燥したキハダの樹皮を小さく切って持ち歩いている。胃腸薬だけではなく、多くの漢方薬に含まれている万能薬だという。






薬事法が定められ以降、薬原料としての売買が禁止(行政指導)されたため、地域の貴重な資源は利用しにくくなり、人の関心も山から遠のいた。でもご自分は大切なことだと思い、県の研究者を訊ね、文献等を調べ、この地域に昔から引き継がれてきた薬草についての知識や利用技術を次世代の人へ少しでも伝えたいと考えておられるとのこと。今回のような学びの相談があれば、石徹白地域づくり協議会を通じて、季節ごとに見られる薬草の案内や、採取体験をさせていただけるとのこと。またここにも素晴らしい地域の名人がおられた。岐阜の山村にはまだまだ諦めずに頑張っている人が大勢いることを忘れてはいけない。 言い忘れたが、木肌を伐倒し皮を履いだ場所はもちろんUさんご自身が所有されている山林である。






今回は貴重な経験を2つした。1つは、キハダの樹皮を剥いだこと。2つは、太い木の伐倒作業を目の当たりに出来たこと。70歳とは思えない山人の身軽さに唖然とした。私たちの勉学のため貴重なキハダを切っていただいたご好意に、心からお礼の言葉が出た。「いつまでも御健康で!」と私自身心で呟いた。


                          報告   山村づくり講座1年 水野三正
                 加筆         教員  原島幹典