2012年9月25日火曜日

鵜飼いを支える



長良川の鵜飼いは1300年の歴史があると言われます。岐阜市には6人、関市には3人の鵜匠がいて、毎年鮎を皇室に献上することから宮内庁式部職に任ぜられていますまた長良川の鵜飼い用具一式122点は国の重要有形民俗文化財に指定されています。
しかし、その重要な鵜飼い用具のひとつである「鵜籠」が、いま危機にあります。この地域で籠を作り続けてきた唯一の職人さんが、体調を崩して去年から仕事を休んでいるのです。

この職人さんには、森林文化アカデミー開学当初から年に一度、ものづくりの学生たちに竹細工の講習をお願いしてきました。70代半ばのご高齢であること、後継者がいないことは私たちも聞かされていて、技術が途絶えるのを案じてきました。それを何とかできないかと声をかけられたのは、鵜飼い用具を調査研究している石野律子先生からでした。2009年の夏のことです。

石野先生の言葉がきっかけで、私(ものづくり教員・久津輪)は職人さんに技術を伝承していただくよう、お願いすることにしました。ちょうどその頃、会社を早期退職して「竹細工がやりたい」と入学してきた50代の学生、鬼頭伸一さんがいたことも契機になりました。職人さんからは「竹細工では食べていけない」「責任が持てない」と断られましたが、何度かお願いするうち、「できるところまでやってみよう」と引き受けてくださることになりました。

2010年春より、毎週1回竹細工の職人さんをお迎えして、講習が始まりました。「この地域に住み続けること」「竹細工の技術を伝えていくこと」を条件にメンバーを募り、私と鬼頭さん、森林文化アカデミーの卒業生など、5人で習い始めました。竹ひごの作り方から教わり、簡単な籠から農作業などに使う籠へ、そして鵜飼いに使う籠づくりへと進んできました。いちばん上達したのは森林文化アカデミーの課題研究として取り組んだ鬼頭さんです。講習のない日も練習に励み、何とか鵜籠が編めるまでになりました。ところが教わり始めてちょうど1年経った頃、職人さんが体調を崩され、講習は中断することになったのです。それからは、職人さんから口頭で作り方を聞き、実物を借りてきて寸法を測り、試行錯誤しながら自主練習を続けました。

鵜飼いに使う籠にはいくつか種類があります。鵜を運ぶための「鵜籠」、これには四羽を入れる「四つ刺し」と二羽を入れる「二つ刺し」があります。鵜の寝床になる「鳥屋籠」(とやかご)。そして鵜が捕らえた鮎を吐かせる「吐け籠」。特に鵜籠や鳥屋籠は、生き物である鵜を入れるため、割いた竹の表面をすべて小刀で削って、ささくれが生じないようにしなければなりません。
これらの籠づくりの練習に励むうち、「鵜匠さんが困っている」という話を何度も耳にしました。鵜籠を作ってくれる所を探しているというのです。中には遠方の職人さんに高いお金を払って注文したものの、今までと同じような籠ができなかったと嘆く方もいるようでした。

今年、ようやく私も鵜籠や吐け籠が編めるようになり、鬼頭さんとともに初めて鵜匠さんたちに挨拶へ伺いました。恐る恐るでしたが私たちの作った籠を見ていただき、年間どれだけの籠が必要なのか、聞き取りも行いました。私たちの籠は至らない部分もありますが、実用に耐える物には仕上がっていたようです。しかし、鵜匠さんたちが毎年必要とする数は私たちの制作能力をはるかに超えています。籠の金額も安く、竹細工の職人が食べていけるレベルではありません。また、作ろうにも毎日使える作業場もなく、数百本に及ぶ竹の置場もなく、課題は山積です。

こうした課題の一つ一つを何とか解決していきたいと思っています。岐阜市や関市の行政側も交えて、歴史ある鵜飼いをどう継承していくか話し合い、森林文化アカデミー卒業生を中心とする竹細工メンバーが鵜籠づくりを担っていけるようにしたいと思います。
伝統的なものづくりの継承は難しいことですが、「食べていけるかどうか」よりも、まず行動しなければならないケースがあります。鵜飼いの籠づくりも、その一つでした。これからも森林文化アカデミーでは、ものづくりを次の世代へ継承するために、学生とともに行動していきたいと考えています。